2022/04/28
©Hawaii State Archives

1881年(明治14年)3月4日、ハワイ王国第7代国王であるカラーカウア王が初の現職国家元首として日本を訪れ、最初に到着したのが横浜港でした。

 

到着したその日は横浜駅(現在の桜木町)にほど近い〝横浜総鎮守伊勢山皇大神宮〟のそばに宿泊し、横浜~新橋までの約29キロを蒸気機関車に乗って明治天皇に会いに行きました。その際、明治天皇に移民を要請したことから1885年(明治18年)に明治政府が正式に認めた「官約移民」が開始され、その後多くの日本人が横浜から移民としてハワイへと旅立って行くことになるのです。

 

 

©Hawaii State Archives

カラーカウア王といえばフラ禁止令を反故にした王としても有名です。1830年から約半世紀の間、ハワイではキリスト教宣教師によって公の場でフラを踊ることは禁止されていた時代がありました。カラーカウア王は自らの戴冠式でハワイの伝統文化であるフラをノホスタイル(座った)状態で踊るのではなく、現在多くの皆さんが目にするフラを立った状態で公の場で踊らせ、再びフラが踊れるようしたのです。
王宮にもフラ・ダンサーを雇い、客人をフラでもてなすなどをして、フラの文化復興に力を尽くしました。芸術や文化に深い理解を示し、「陽気な王様(メリーモナーク)」としてハワイの国民からも愛された王でした。

 

 

カラーカウア王から始まった、日本、横浜とハワイのつながり。

 

それこそが「ALOHA YOKOHAMA」がハワイ現地の方にも認められた日本のハワイフェスティバルである由縁です。